運営者プロフィール
どうも、はじめまして。(*^^*)
レトロゲームが大好きな元ゲーメスト愛読者のオヤジです。(^^ゞ
レトロゲームとの最初の出会いは幼稚園の帰り道
不肖この私めは、1973年( 昭和48年 )生まれの団塊ジュニア世代のオッサンですが、昔は「 いちご世代 」などと呼ばれていました。
初めてテレビゲームと出会ったのは幼稚園の帰り道だったぞ。
東京都目黒区にある自由が丘駅の近くの、商店街に屋外設置されていたテニスゲームが米アタリ社の「 ポン( PONG )」でしたが、これが衝撃的でしたね。
昨今のテレビゲームの様な派手さは無く、ただバーとバーがボールを打ち合うビデオゲームでしたが、幼なごころに魅了されてしまいました。(^^ゞ
ただし幼稚園児のときの私めは、お金を持っていなかったので他人のプレイを「 じっ 」と見ているだけでしたが…
当時のポンはコピー商品も多く出回っていたから、本物のPONGじゃ無かったかもしれないけどな!
しかしながら、その日を堺にテレビゲームに興味を持ち始め、自然に惹( ひ )かれる様になっていきました。
あしげくゲームセンターに通う様になったが、それでも見る専門だったぞ!
小学生の時も見る専門でゲーセンに通いまくった
小学生時代もゲーム好きは相変わらずで、お金もないくせにゲームセンターには、よく通ってましたよ。
小学校1、2年生のころはインベーダーが大流行していた時期で、横浜に引っ越してからはよく立ち見専門で見てました笑。
自宅からは、ちょっと離れていましたが「 山忠( やまちゅう )」ってゲーセンにインベーダーが置かれていましたね。
すでに閉店ずみなのと2021年11月現在は、ここらへん一帯が区画整理されているので今はもう店じたいが無いかも…↓
ヤマチュウ以外のゲーセンも、あちらこちらに有ったので、よく行きまくっていましたが。
SEGAのフロッガーやコナミのスクランブルなどが大好きで、見てるだけでとても楽しかったです。^^↓
特にグラディウスの原型とも言えるスクランブルは大好きで、授業中によくノートに落書きしてましたよ。
以下のGoogleストリートビューの場所で、たしか向かって左側の並びの左端から2軒目のシャッターが下りている店が、よく立ち見に行っていたゲーセンだったと思います。
一部のゲーム機は屋外に出ていた記憶がありますね。↓
Googleのストリートビューは最古のものでも2008年の3月ですが、2006年に撮影した写真を載せますね。( さすがに小学生当時のものは、ありませんが )↓
この商店街の並びを、兄弟で「 下の店 」と呼んでいましたが、実は地形で上の方にも屋外にゲーム機が置かれていた商店街があり、こちらは「 上の店 」と呼んでいました。↓
Googleストリートビューは中の画像がありませんが、商店街の中に入るとこんな感じになってます。↓
奥にあるのが「 相鉄ローゼン 」のスーパーですが、商店街にゲーセンはなくて立ったままプレイするアップライト筐体型のゲーム機が、屋外のあちこちに置かれていました。
上の店で一番、印象に残っているゲームは「 クレイジークライマー 」でしたが、上の写真の右側あたりに置かれていたと記憶しています。
小学生の頃はいつも通っていたのですが、あるときパックマンのゲームスタートBGMが聞こえてきたので走ってプレイを見に行ったら「 来るんじゃねぇ、ガキ! 」と言われたことも笑。
中学生のころには、この商店街の中の屋外のあちこちに、カプコンの魔界村や戦場の狼、ニチブツのテラクレスタや東亜プラン( タイトー )のヘイガーヘリなどが置かれていましたね。
中学のやんちゃな同級生が激ムズな魔界村をプレイしてたときに、何度も死んでキレまくってゲーム台をガンガン蹴っ飛ばしてたな笑。
弟がよくやっていたのが、屋外の中央に置かれていた「 ジャンケンマン 」というメダルゲームでした。
私は1回くらいしかやったことがないですが、「 ジャン、ケン、ポン! 」という大音量の音声合成が商店街に高らかに響き渡っていましたね。
中学生の時に出会ったスーパーマリオブラザーズ
不肖この私めが中学校2年生のときに出会ったのが、友だちの家でプレイしたファミリーコンピューターのゲームソフト、初代の「 スーパーマリオブラザーズ 」でした。
発売が1985年9月13日だったので、1年おくれではありましたが「 世の中に、こんなに面白いゲームが有るのか!? 」と感動したものです。
えっ、あの頃の時代って
社会科の教科書で習う時代なの💦
つか、この写真いろいろおかしいw pic.twitter.com/vns8AtMOL2— てぃば。 (@o8ANtkXrx8wTeCa) February 28, 2021
発売元は言わずと知れた任天堂で日本だけでも681万本、全世界では4024万本の売上げを誇る不朽の名作ですね。
当時はファミコンを持っていなかったのですが、父に買ってもらってからは時間も忘れるほどに自宅で熱中してプレイしていたよ。
厨( 中 )2の時の休みの日に、サン電子の「 東海道五十三次 」をプレイしていて、「 フッ 」と外を見たら辺りが暗くなっていて「 え。もう夜なの!? 」と、自分でも驚いてビックリした記憶があります笑。
中3の時に立川のゲーセンで見た衝撃の事件とは
中3になると同時に東京の国立に引っ越したのですが、このときも友達としょっちゅうとなり町の立川にあったゲーセン、「 オスロー 」に行きまくってました。
いま( 厳密には2018年から )は2、3階ともバッテングセンターのみになっていますが。
当時は2階でゲームセンターを営業していて、タイトーの3画面筐体のダライアスも置いてありましたね。↓
空練 – 撮影者提供。This photograph has provided by photographer own., CC 表示-継承 3.0, リンクによる
ちなみに上のストリートビューのオスロー( バッテングセンター )が2号館( 第二店 )ですが、立川駅の北口から少し歩いた場所には1号館( 第一店 )がありました。
第一店は2012年7月8日( 日 )で閉店しており、今現在は第五店に移動していますが…
実は、第一店には思い出深いエピソードがあるぞ!
当時、とある地元の中学生らしき集団が騒ぎながら、メダルゲーム落とし機のドーム状になっている天井をバンバン叩いて、不当にメダルを下に落としていたのです…
…すると、次の瞬間にっ!!
20代くらいの若い男性店員が、ダダダーッ!と走ってきて、その学生めがけて勢いよく怒りの“ジャンプ大キック”を食らわせたのです!
そして床に倒れたその学生めがけて「 それェ!やるなっつったろおーッ!? 」と怒鳴りながら、格ゲーのコンボさながらに連続で上から猛烈な蹴りを浴びせてフルボッコにしていました…
どうやら以前にも、やらかした再犯者らしかったぞ!?
けっこう面食らいましたが、もし今の様にSNSがあってこの暴行画像や動画がツイッターなどに上がっていたら大問題になって、最悪その店員は警察に逮捕されていたかもしれませんね…(;・∀・)
UFOキャッチャー叩いて商品を落とす人は見たことないけど、メダルゲームのメダル落としてる人なら見たことある
— セイヴァン (@kacismdi) March 21, 2016
高校時代にはR-TYPEを1コイン2周クリアを達成
さて、私めのテレビゲーム熱は高校に進学した後も、ますます加熱していったのです。
学校帰りには、いつも友だちと駅前のゲーセン「 島田 」に寄ってたぞ!
東京の拝島駅近くに有った店の名前は「 スナック&ゲームセンター、シマダ 」でした。
今は駅前の再開発によってシマダは無くなってしまいましたが、東京の立川にあったカジノカーニバルの店長が来ていましたね。
店の中は狭くてカウンターも無かったので、店長は小説かなにかの本を立って読んでいたのを覚えています。
さて、ここのゲーセン「 SHIMADA 」で、私の高校時代の唯一の功績である「 R-TYPE1コイン2周クリア 」を成し遂げたのですよ。(^^ゞ
アールタイプとは、ゲームメーカーのアイレムが1987年7月1日に稼働を開始した横スクロール型のシューティングゲームの事ですね。
簡単に言うと、飛行機が撃つタイプの反射神経系のアーケードゲームです。
それにして当時は昼飯を抜いてでも浮かしたお金で、かなりやり込んだ笑!
ろくすっぽ勉強もせずに、あまりにもゲームに入れ込んだため高校は中退となってしまいましたが泣…
社会人になってからもゲーム三昧の日々を送る
上の写真は私めが20代のころに住んでいた、茨城県の派遣会社の寮の部屋ですが。
社会人になってからも相変わらず、ゲーム熱は冷めませんでしたね。(^_^;)
上の画像は当時つとめていた会社の先輩同士で、スーパーファミコンのストIIを対戦している時の写真です。
土曜の夜になると、オールナイトのゲームセンターに入りびたって徹夜で朝まで遊んでいました。
当時はストIIが流行っていたのですが、がんらい手先が不器用なせいで昇龍拳や波動拳などの必殺技が、なかなか出せずに悩んでいた時期でした笑。
上の写真は、1993年の6月に千葉の幕張メッセで開催された東京おもちゃショーで、春麗のコンパニオンと一緒に撮った写真です笑。
この会場では、たしかPCエンジン版のストII’が展示されていた記憶がありますね。
ゲームセンター「 メクマン 」のアルバイト店員
プロフィールにある私めの写真は、今はなき松戸のゲームセンター「 メクマン 」で、アルバイト店員をしていた時のものです。
平日は茨城県の工場内勤務の作業員として働いていましたが、土日だけアルバイト店員で夜に働いていました。
寒い真冬に400ccの単車で高速道路を使って茨城から千葉県松戸市に通っていましたが、交通費は出してくれたので助かりましたね。
運営会社は「 オモロングループ 」でしたが、2011年の東日本大震災の影響で閉店後も、松戸市みのり台駅に移転して営業を再開していたそうですが、ここも数年後には閉店となり今現在はもう無いそうです。↓
ゲーム好きが高じて、10代の頃からの憧れだったゲームセンターの店員を実際にやらせて頂き、思ったことは「 遊ぶのと働くのでは雲泥の差がある! 」ってことでしたね。( 笑 )
まぁ、お金を稼ぐってことは何にしても大変なことなんで、当たり前っちゃ当たり前だのクラッカーなんですが。
ガラケーのソーシャルSNSミニゲームにハマる
そして、ガラケー全盛時代にはSNSのモバゲー( mobage )に登録し、フラッシュミニゲームを、ひたすらやり込んでいました。
いまは、スマホゲームが主流ですが、反射神経と運が頼りのFLASHミニゲーム「 退魔の矢・弐の巻 」で全国の通算1位を取るまで熱中していましたね。
ガラケー時代は結構気合を入れて、ほぼ毎日やり込んでいました笑。
FLASHミニゲームはガラケー専用でしたが、今でもYAHOOゲームでデスクトップPCでも無料で出来ますので、あなたも挑戦されてみては?↓
なんと、ガラケー時代と同じく「 疾 」の得点倍率×1.3倍が入るのには驚いた!
「 910スタート 」をしなくとも、オープニング画面でタップないしクリックするだけで鬼火の画面に変わって「 疾 」の得点倍率が×1.3倍になり、鬼火ルートで進めば、高得点が狙えます。
PC版プレイのYahoo!モバゲーでも、一応1位を取れましたよ。
Yahoo!モバゲーでは別アカウントではありますが、いちおう全ての称号を取ることが出来ました。
モバゲーのフラッシュゲームは実力も必要ですが、ハイスコアの99%は「 4面の鬼火の配列がキレイにズレるか否か 」で決まる運ゲーですね。( 笑 )
しかも一見、簡素なミニゲームに見えますが、「 確実な鬼火ルートの行き方 」などの基礎知識がないと高得点は出せません。
ちなみに私がガラケープレイの通算で全国1位を取った得点は26万3,480点ですが同点一位の方が、もう一人います。
テクニックを究極まで極めた上に運の要素と、その日のコンディションも絡んでくるので、かなり本気で遊ばないと上位は取れないですよ。
ラスボスは「 九尾の狐 」ですが、ゲームスタート後に画面が切り替わった時にクリックないしタップしないと、鬼火を倒しても「 武将百足 」しか出てこないので高得点は取れません。
さらにゲームスタート後にクリックして画面が変わっても、一定の法則を守ってゲームを進めないと鬼火ルートでなく4面でウワバミが出てしまうので、ラスボスが「 滅汰坊 」になり、高得点が取れません。
ちなみに、1作目の「 退魔の矢 」は、ガラケー時代から有ったフラッシュの再生速度を変えられる「 FPS( フロップス )チェンジャー 」なるツールを使ってプレイすると、カンストが出せるイカサマ技が有ったために、99万9,999点のハイスコアラーが100人前後はいました笑。
久々にYahoo!ゲームでも1作目の退魔の矢をプレイしてみましたが、どうやら40万点ぐらいが限界みたいです。↓
ガラケー時代にもイカサマ技を使わずにプレイしたことが有ったのですが。
最終ステージの直前に「 氷 」のパワーアップアイテムを、ルーレットで取ってクリアすると75万点前後は取れたんですけど、PCブラウザでは仕様が違うためか、点数が上がらないですね。
またソシャゲーのみならず、タイトーの公式アプリ「 ダライアス 」でも2012年5月4日に単独での通算一位を取ったことも。↓
これからも機会があれば新たに記事を書いていこうかな?と思案中です。(^^ゞ
🎮高橋名人35周年記念アプリ〜ゲームは1日1時間〜の
シューティングチャレンジ で5062260点を出しました!
😊デライラとラザロBOUNUSはキッチリ取りました笑。
🎮懐かしい‼️#高橋名人#35周年#ハイスコア#ゲームは1日1時間#16連射#16SHOT#シューティングチャレンジhttps://t.co/Bqd9j89U8zpic.twitter.com/x9Cfex4Ovv— アドセンスでブログ初心者が稼ぐ秘訣!@月間100万PV達成 (@Blog_Adsense) March 18, 2021